三田珠理の現在地。2026
こんにちは、三田珠理です。
その後お変わりないですか?‥と言いたいところですが、なんとこれが今年最初のお手紙になってしまったみたいです。ありゃ。
私のほうは相変わらず、心と体でどうにかこうにか音楽と向き合う日々を過ごしています。新しい人や音、手法や景色と出会いながら関わりながら変化した部分もそれなりにあるけれど、結局ずっと生活は続いて、音楽もずっと続いています。
さて、今回のレターでは今年5月に音楽ライター/選曲家の栗本斉さんに寄稿いただいた文章を紹介します。栗本さんと言えば、アルゼンチン音楽を中心としたワールドミュージックから日本のシティポップまで幅広く執筆してこられた方。個人的にも、特にアルゼンチン音楽に関しては栗本さんが日本に紹介してくださったおかげで出会えた作品が沢山あり、そのような方に文章を寄せていただけたことはとても光栄でした。
本文は、6月の“Rainbow’s End”(三田珠理と市川空)リリースに際して話を聞いていただいた内容となっています。ぜひご一読ください!
三田珠理の現在地。2026
ジャズ、R&B、ヒップホップ、そしてそれらをミックスしたポップ・ミュージック。ディアンジェロの『Voodoo』(2000年)、ロバート・グラスパーの『Black Radio』(2012年)と、その時々のエポックとともに進化を遂げてきたが、三田珠理の音楽は、その流れにおける現在進行形のポイントとして記しておきたい存在のひとつだ。この度発表される、市川空とコラボレートした新曲「Rainbow’s End」を聴けば、誰しも納得するだろう。どこへ向かうのか予測不可能な自由自在のメロディと、英語と日本語が自然に交錯するボーダレスな歌詞。そしてそれらは決して難解な方向に陥ることなく、心地よいグルーヴをまとったジャジー・ポップとして見事に着地している。
では、三田珠理とは何者なのだろうか。幼少期からピアノとヴァイオリンの教育を受けた彼女は、いわゆる音楽環境的にはエリートと言っていいかもしれない。本人の弁によれば、親の意向もあって惰性的に音楽を続けてきたというが、それでも桐朋学園大学のヴァイオリン専攻を卒業するに至っている。音楽教育という点においては、どんなミュージシャンにも引けを取らないだろう。ただし、ヴァイオリンやクラシック音楽が大きな存在でありながら、その道を選ぶことはなかった。漫然と音楽を継続する一方で、とにかく歌うことが好きであり、漠然と「歌いたい」という想いを持ち続けてきたのも事実である。
転機となったのは、友人に誘われて訪れた東京大学の軽音サークルのライヴである。このライヴを観て自分も歌いたいと強く感じ、そのサークルに押しかけるように入部し、ヴォーカリストとしての活動をスタートさせる。そこでエリカ・バドゥからエスペランサ・スポルディングに至るまで、ネオソウルや新世代ジャズを歌う機会を得て、さらに歌の世界にのめり込んでいった。
卒業後はレコード店に勤務しながら音楽的土壌を広げ、その後は編集者として働く日々を送る。その過程でブラジル音楽やECM系の作品などにも触れ、聴取体験を拡張していったが、音楽に対しては長らく「大切な趣味」として距離を保ち続けていた。ところが30代に入り、仕事に没頭するなかで、「これほどの熱量を注ぐなら音楽に向けたい」という自覚が芽生える。2022年、ついに一念発起し、フランス・パリの音楽学校へと留学するのである。現地ではヴォーカルをルー・タヴァノに師事し、同時にジャムセッションに積極的に参加しながら実践的に研鑽を積んだ。そこで得た最大の収穫は、テクニック以上に「声とは何か」「歌うとは何か」という根源的な問いへの再認識であり、同時に異文化の中で主体的に音楽と向き合う経験でもあった。
2024年末に帰国後、徐々にライヴ活動を開始。当初はジャズ・スタンダードを中心としたレパートリーであったが、2025年に入りオリジナル曲の制作を開始する。自宅で自然発生的に生まれた楽曲を、ライヴを通してブラッシュアップしていくプロセスを経て、同年7月には初のシングル「大人の歌」を配信リリース。続くEP『Voice』も発表し、活動は徐々に加速していった。
彼女の楽曲制作の特徴は、ピアノの響きのなかから即興的に立ち上がる鼻歌のようなモチーフを起点とし、それを徐々に形にしていく点にある。頭で構築するというよりも、身体に蓄えられた音楽的記憶を自然に抽出していくスタイルだ。一見すると技巧的に設計されているように聴こえるが、本人の感覚としてはあくまで自然発生的なものであり、仕上げにわずかな調整を加えるにとどまるという。「大人の歌」のような楽曲をナチュラルに生み出すセンスは特筆に値する。
アレンジ面においてもその柔軟性は際立っている。ピアノ弾き語り、ルーパーを用いた一人多重録音、さらにはバンド編成によるアンサンブルに至るまで、それぞれをフラットな選択肢として捉えている。そのためどのフォーマットにおいても音楽的核心がぶれることなく、表現の幅の広さと一貫性、そしてその中に内包する強さが共存している。
歌詞面では、外向きのメッセージよりも内面の微細な感情の揺らぎに焦点を当てる志向が顕著である。日常の中に潜むわずかな違和や感情の揺れといった捉えがたい感覚を丁寧にすくい上げることで、独特の親密さと静けさを生み出している。現在毎月配信している「散文」と名付けられた楽曲群は、そういったパーソナルな彼女の魅力が伝わるだろう。また、日本語と英語を自在に行き来させることで、言葉の響きそのものを音楽的要素として機能させている点も重要だ。
こうした特性を踏まえて新曲「Rainbow’s End」を聴くと、その必然性がより鮮明になる。ジャズピアニストでありシンガーソングライターでもある市川空とのコラボレーションにより、ジャズ的な側面がより強く打ち出されている。エレクトロニクスを織り交ぜたピアノとともに、自由度の高い旋律が天空を舞うかのように空間を横断し、彼女の声が音楽全体を統合する軸として機能している。壮大なストーリーを感じさせつつ、ある種の実験性を含みながらも、最終的にはポップとして成立させるバランス感覚は見事だ。
楽曲発表からまだ1年足らずということもあり、彼女の音楽は完成形とは言いがたいし、そのことは本人も自覚している。しかし、その未確定性こそが彼女の大きな魅力でもある。制作とライヴを往復しながら自らの表現を更新していく姿勢からは、すでに予測のつかない可能性が立ち上がっている。「Rainbow’s End」を含め、これまでに提示された楽曲は氷山の一角に過ぎない。三田珠理というアーティストが今後どのように成長し、展開していくのかを、しっかりと見守っていきたいと思う。
2026年5月
栗本 斉
読んでくださってありがとうございました。栗本さんも、改めて本当にありがとうございました。過去の点を少しずつ繋ぎとめながらひとつの道を照らしていただけたこと、背筋がぐっと伸びる思いです。
ということで、なかなか手が回らずあっちもこっちもアクティブにはしきれてないのですが、変わらずInstagramで生存報告は続けているのでよければたまに覗いてみてくださいね。
みたじゅりより
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